top更新:きよひさ様御中絵一部。聖志摩。

 難産、でした。
これ一枚で2、3枚は描き直ししたと思います。はい。
でもそれなりに愛着のある満足出来る絵になったと思います。良かった。





以下独り言。
 久しぶりに絵を描いた気がします。最近涙脆くていけない。
対馬さまの言う道の様な物が一気に、開けたようで。
絵を描く事がどういう事か実感として思い出せたように思えます。やはり頭で判る物ではありませんね。
去年の6月3日頃から(当てつけではないです。)続いているスランプですが、兆しが見えたようです。
とか真面目に独白してみる。
まだ気は抜けませんけどね。


 まだいるんですよね。忘れようとは思いませんが、引きずろうとは思っていなかったので。
何と言われようと私は表現したい物があればいつまでも筆を持ち続けるつもりですが、そうして駄目になった人を知っていると言われてしまいますと。自分は大丈夫だとは言い切れませんし。どうせ見てはいないと思うと言葉が出る物ですね。私は正直疑っていたんですけどね、あの人の色々な言葉を。人間不信なので。これは殆ど生来の物なのでどうしようも無いです。信じたいですけど、相手は人間だからと。向こうも何かしらの理由があったのかもしれない。どんな状況で信じていた物が覆るか知れない。特に“愛してる”は。


 今にして思えばあの時が一番絵も上達しましたし安定もしていた気がします。八つ当たりは申し訳なかったですけど。お世話にもなりましたけど。それがしっかりと判らない餓鬼なので。言いたい事を我慢する事は出来ません。彼のように大人ではないんです。良くしてくれた方々を裏切る形で申し訳なかったと思っています。今更で結論のでない話なのですけれど。
浮かれていたんでしょうね、やはり。安寧に浸かって尊大になってもいました。安心して周りに寄りかかる事も出来ましたし、励ましていただく事もありました。10月からずっと胸に空虚さがあって。気付いたら信じられる方が誰一人としていませんでした。別に、人間それでも生きて行けるというのに、気付いたときは無駄に怖かったですよ。友達も何もかも、表面でしかないと知っていましたし。そうでない友人にも、本当の事は話せませんし。そういう関係の友人でしたし。
莫迦莫迦しいと思います。正直な所。何ともないと思っていましたが、そう思うと逆にこびり付いて来て。何を信じるべきなのでしょう。
何が出来るのでしょう。
そんな物がなくとも人間生きて行けるのですけどね。