top 某様にごめんなさい。志摩子さん余り黒くなりませんでした。
コンセプトは暗殺者志摩子と、「君の唇がナイフの刃であろうと私は喜んで口づけをよう。」な聖     。自分できもい。orzポイントはロザリオ。二人はこのままベッドに(殴
すみません暴走してます。
 








 
 日清さん。激辛プルコギ?美味しかったですけどあまり辛く無かったですよ。もう少し香辛料増やしても良いかと。

 .....又、カップ麺生活に戻ってしまいました。orz
冬太り決定。


独り語り。

 どうでもいい話。



 芸術という分野に必要なのは独創性であると私は思います。
評論家がもっともらしく絵画について語っていますが、それが妥当であろうと無かろうと、それは後付けの理論でしかなくてそれを編み出すに至る過程に必要なのはやはり独創性なのです。
それに至まで偶然と偶然の組み合わせで何気ない物がきっかけになったり、積み重ねた物から成果がでたり。それら試行錯誤の上で洗練しキュビズムなどの画法が編み出されるのですが、芸術のような形而上の人間の概念に頼る面が多い分野ではその人の感性が重要性を持ちます。
それに至りやすい人間は、感性が強いのだと思います。その感じた物からひねり出すのが発想であり、それらをどう組み合わせ確立するのかを補うのが独創性。
 総じて独創力というのは或る物から全く違う物を編み出す物ですから(何も無い所から編み出したとしてもそれは何らかのきっかけがあると信じています。)それを確立するまでの行程を考えると途方も無い労力を使う事になると思います。
少しの事から全く別の物が出来るとも限りません。クロード・モネのように他の絵画様式に触発される事も少なくはありません。けれど確立され、それがリアルに刻める人間であればどのような過程を追っても行き着く所は同じだと思います。それは、絵の追求ではなくむしろ自分自身の追求に近く、写実主義と同意義です。


多分続かない。