やり残した課題に追われています。





アニメ版の最終話あたりに張ろうと思ってレンタルサーバーにあげたまま放置されていた貴子さんその一。背景適当。
そんな貴女が愛しいです。いつか、あの裸Yシャツ描いてやります。(野望




 それはそうと、冬コミ準備他で目が回っていたため書き忘れていましたけれど。
終わりましたね。終わりました。
前回の引き、男バレ。
何と言いますかね、アニメ版はキャラクター違いすぎやしないかなと。
以下いつも通り、所感と私見と偏見と批評と。



 さて、冬コミ二日目の時の話です。
会場を後にし、皆さんに同行させて頂きカラオケに行った際、お隣にいらした望月さまに色々とマニアックな話を(ほぼ私が一方的に)していたんです。
そのとき、ちょっと最近みたおとボク関連の記事がふと浮かび聞いてみました。
アニメの奏って喋り方が拙くて、あれに見えませんか。
肯定して頂いてしまいました。
といいますか、何か、言い方悪いですけれど、アニメスタッフに“エロゲ”で見下されている気がするなあとか。
いえ、エロゲとかそういうものに限った話ではないのかもしれませんけれど。
といいますか、おとボク系のエロ主体ではない18禁ゲームの類は要するに表現の幅を広げているだけなのだと思うのですよ。
年齢規制と言うよりも、そういう表現を使っても良いという自由。今の時代、自由ってそういう規制や責任の上に成り立つものだと思いますしね。
尤も、だからといって規制されている年齢以下の人間がゲームを手にとって良いというわけにはならないのですけれど。


アニメに関して忠実に再現している、といわれているのを見かけますけれど...それは一話はまだあれくらいで丁度良いのかもしれませんけれども。
正直全体的に表面をなぞっているようにしか見えません。
そりゃあ、原作よりもっと面白く作ってやる、くらいはまだ視聴者としても原作をやった身としても許せます。
面白いに越したことはないですから。
でも、原作があるにも関わらず原作の良いところを活かそうともせずに中途半端に抜粋されると何だかなあという気分です。
奏の「なのですよ」にしたって、「エロゲだから」で解決して欲しくなかったです。
何でしょうね、あれ一つとっても奏の内面性が深く関わっていると思うんです。
なかなか言い得て妙な言葉は浮かびませんが、院長に好いて貰おうと語尾を真似たり良い子でいようとする必死さとか、孤独とか。
自分が嫌いなことに何の後ろめたさも無く、言い切って、他人になりたいと願いながら圭さんの演劇部に入ったりとか。
孤児の話と併せて、入れて欲しかった。
アニメを観ているとそれぞれのキャラクターの魅力が出し切れていなくて、やるせない気持ちになります。
悪くはないけれど、浅く取って全体の収まりだけを気にしているようにしか。
作品としての広がりがないんですよね。
瑞穂君の「恥を知りなさい」に込められた痛みとか。
もっと良いとこ取りでもすれば良かったと思う。
最終話のクオリティが出せるなら、自分の創作だけでなく原作をもっと良く見るべきでしょう。
アニメが好きだという人には悪いのですが、どうにも高評価はできないでしょうね。
アニメ化発表から一年近くもあった訳ですし。(当時、原作をプレイする予定はなかったので楽しみにしていたのですが。)
...余りにも放送までに時間があったものですからどこからか流れた嘘か、お流れになったのかなと思ってましたよ。



 個人的な話ですが、由佳里はバーグで空気だからこそ愛しいと思うのは私だけでしょうか。
ぶっちゃけ、八話を無しにして降誕祭より前倒しに最終話付近で紫苑さんを倒れさせて欲しかったなあとか。
婚約云々の話は抜きにしても、*1「これで……これで判らないなんて云ったら………それこそ罰が当たってしまいます………………!」の一言が欲しかった!orz

そういえば、まりやルートで意図してか偶然かは知りませんけれど、吉田歩美の声で「あたしは別に、『真実はいつも一つ』なんていうつもりはないわよ。第一それ、間違ってるし」とコナンを否定させたのに不謹慎にも笑いました。名探偵コナンでちょっと言わせてみたい。

*1:格好良い貴子さんが見られないのは残念ですが